元大関豪栄道を応援した日々

私は2015年初場所から2020年初場所までの丸5年間、豪栄道ファンでした。

私が豪栄道に興味を持ったきっかけは2015年初場所、カド番で5勝7敗から3連勝して千秋楽にカド番を脱出した時でした。
その後もギリギリ大関の地位を守り続ける姿を見て、怖いもの見たさでどんどん夢中になっていきました。2015年の豪栄道は8勝ばかりだったんですよね。
そして私を大の豪栄道ファンにした決定的な出来事が、2015年九州場所に2度目の千秋楽カド番脱出をした時でした。
この九州場所直前、豪栄道は手首を骨折していたんですよね。そんな状態でも必死に大関の座を守ろうとする姿に感動したのです。
それからは親が我が子を見守るような気持ちで応援していましたね。
まぁ大関に対して我が子だなんて失礼なんですけど(笑)。
とにかく目標は勝ち越しなんですよ。8勝すればそれで良いんです。私の感覚では二桁勝利なんておまけみたいなものでした。大関としてはそれではダメなんですけどね。

場所が始まる前は定期テストがこれから始まるような感覚。豪栄道が勝ち越しを決めた瞬間、定期テストが終わったような感覚。カド番脱出を決めた瞬間は気が狂ったように喜んだ思い出。
懐かしいなぁ。もう二度とあの感覚は味わえないんだなぁ。幸せだったな。

そして2016年秋場所、奇跡が起こりました。
全勝優勝です。優勝すら考えたこともなかったのに、まさか全勝優勝を成し遂げるとは。
そもそもこの場所はカド番だったんですよね。中日にカド番脱出した時には勿論アホみたいに喜びましたよ。
当時はもうその後の7日間はおまけみたいなものだとしか考えていなかった。9日目、10日目まではまだ何とも思っていなかったです。
そして11目の稀勢の里戦に勝って、あれ?これはひょっとしてひょっとするかもと思ったんですよね。
12日目の鶴竜戦にも勝って、その段階で初めて優勝を意識しました。
そして13日目。運命の日馬富士戦。相手は優勝を争う横綱。仕切り前に日馬富士と長い間睨み合い。
結果は逆転の首投げで勝ちました。あの首投げはその後何度見返しても感動しますよ。本当にあれ以上美しい首投げなんてこの世に存在しないですから。
結局これに勝ったことによって日馬富士は優勝争いから完全に脱落。残り2日間で2差で当時平幕下位にいた遠藤が追ってくるというほぼ優勝が決まった状態になりました。
14日目、玉鷲戦の前に遠藤が負ければその段階で優勝が決まったのですが、遠藤は勝ってその時点では優勝は決まらず。しかし豪栄道玉鷲に難なく勝って悲願の初優勝。本当に感無量でした。
しかし後々よく考えると、千秋楽に琴奨菊に勝って全勝優勝を決めたことの方が大きかったですね。
全勝優勝と14勝での優勝では全然価値が違いますから。
その後その年の年末までずっと上機嫌でしたね。

しかしその奇跡の全勝優勝から1年後の2017年秋場所、信じられない、今でも信じたくないような悪夢、悲劇が待っていました。
独走状態からのまさかの3差逆転でのV逸。
もう悔しくて悲しくて、自宅の壁に八つ当たりして今でもその時に出来た穴が残っています。
その時もカド番でした。初日に負けてこれはヤバいなと思ったところから8連勝で9日目にあっさりカド番脱出。個人的にその翌日に引っ越しをしたので、何か運命的なものも感じました。カド番脱出した瞬間は勿論飛び上がって喜びました。
しかし1年前に全勝優勝を経験していたので、頭の中ではすぐにカド番脱出から優勝へと切り替わりましたね。
その後11目まで連勝が続いて11目が終わった段階で10勝1敗。後続は3敗と既にもう独走状態。
12日目。その3敗勢が全員負けて、これはもう余裕だなと思ったらまさかの松鳳山戦で負け。
それでもまだ残り3日間で2勝すれば良い状況と圧倒的に有利なのは変わらず。
しかし13日目の貴景勝戦でも負けてまさかの連敗。これでもう全く分からなくなってしまいました。
結局14日目には勝ったものの千秋楽の日馬富士戦で本割、優勝決定戦と連敗して大逆転で優勝を逃してしまう結果に。
奇しくも日馬富士に1年前の雪辱を果たされてしまう結末になってしまいました。
優勝決定戦で負けた瞬間即テレビを消しましたよ。勿論優勝インタビューも見ていません。そんなの悔しくて見られるわけないじゃないですか。

そんな悔しい思いをしてから2年後の九州場所
去年の九州場所の初日の遠藤戦で左足首に全治8週間の大怪我をしてしまいました。
それが結果的に大関からの陥落、そして引退の原因にもなってしまいました。無念です。
あの大怪我さえなければまだまだ大関としてやっていけただろうに。無念です。
しかしどうしても納得がいかないのが、何故大関特例復帰の権利を行使せずに引退をしてしまったのか。
大関から陥落直後の場所で二桁勝てば大関に復帰出来るのに何故それを放棄してしまったのか理解が出来ません。
豪栄道は引退会見で大関から落ちることが決まってやる気がなくなったと言いましたが、大関から陥落直後の場所は実質大関みたいなものじゃないですか。何故そのように考えられなかったのか。
もしかしたら二桁勝てていたのかもしれないと思うと非常に勿体無いですよ。二桁チャレンジしてからでも良かったじゃないかと思います。